苦界婚

授業終わって用事もない金曜日の夕方。
明日は任務も無いし一緒に金ロー観ようぜ!と虎杖がお得用ポテチ(のり塩)とコーラの2リットルボトルを抱えて部屋にやってきた。
なんでだよ。と正直なとこ思う。テレビなんかどうせ一人で見ても誰かと見ても同じじゃねぇか、オマエ一人で勝手に見てろ。そう言うつもりが黙って扉を開けて招き入れていた。最悪だ。休日前の貴重な夜だ。本読んでだらだらしたかったのだ。俺は、そのはずだった。
こいつはいつの間にか勝手知ったる俺の部屋で、ウキウキと折りたたみ式のローテーブルを勝手に引っ張り出す。コード抜いて棚の横に突っ込んでおいた十六インチのテレビモニターをその上に乗せると「あれ?コードみじかっ」とか言いながら結局テーブルを壁に寄せた。
俺は腕を組んでその様子を眺めていたが、これから追い出すのも面倒になって溜息をつくと、ベッドに寄りかかって座った。そうするとすぐ隣にリモコン片手に虎杖が座る。いつもの位置だ。肩が触れるかどうかぎりぎりの。
「金ローって何やんだよ」
「バタリアン」
ホントマジ最低だな意味わかんねぇ視聴率取る気ねぇだろ。そう毒づきながら、虎杖が持ち込んだポテチを勝手に開けて食べ始めると、さすが伏黒さんバタリアンを知ってらっしゃるゥ?なんてオホホと作り笑い。お酌でもするように2リットルペットボトルを傾けてコーラを注いだ。

虎杖は、テレビを観ている時は案外大人しい。
笑いもツッコミも入れず、ポテチを指につまんだまま口を半開きにしている。
一〇分に一度くらいの間に挟まるCMで、よくわからないタレントが商品と関係ないお決まりのネタを披露している時にようやく、ポテチを噛んでコーラを一口飲む。
バタリアンは絵に描いたようなB級ホラーだが、当時としてはよく出来た作品だろう。特殊メイクも特撮もお粗末だが、妙に気持ち悪い演出や彩色があるから、それに惹かれるファンがいるであろうことも理解できる。
俺はといえば正直なところ、臓物や死体をはじめモンスターの演出があっても特に感じることは無い。実物のほうが地味だからかもしれない。だが虎杖はどうだろう?
こいつが呪いを初めて見たのはもう一年と三ヶ月前、あれから過激なくらい急激にこの世界に翻弄されて、死ぬために戦った一年間。それから罪悪感と共に生きる覚悟を受け入れるための三ヶ月。それは今もだが。
ちらりとテレビ画面に視線を戻せば物語は既に後半になっていた。男が己の行いにより起きた災の大きさに絶望し、燃え盛る焼却炉の中に這いずり込む。焼ける描写はないが、画面いっぱいに映される焼却炉と男の断末魔が重なる。
俺はついと視線を反らして床を見つめた。ポテチのかけらが落ちている。あとで掃除をしなければ。
虎杖がどんな顔をしているのかが気になった。だが見ることが出来ないでいる。
俺は最初から金ローなんか観るつもりなんかなかったんだ。断固断って買い物だろうが何だろうが連れ出せばよかったのに。
後悔の無い人生なんかない。思い通りにならないことばかりで俺は腹を立ててばかりいる。
幸せでいてほしいと願うやつがいても、そいつの傷心を癒やしてやることもできないなんて。

「今回の呪霊は一級相当です」
お二人共一級術師ですが、虎杖くんはまだ要観察対象となっていますのでお一人にするわけにもいかず……と言いにくそうに口ごもる。
どーもスンマセン!なんて虎杖が笑って謝っているのに舌打ちをして、俺は周辺を見渡した。
何も無い山の中にぽかりと開けた土地に、半ば崩れた神社があった。元はそれなりに立派な造りだったのだろう。縁や向拝は見る影もないが、堂本体の壁や屋根はしっかり残っている。
事前調査の資料によれば、この神社では戦前、結婚式が多く執り行われていたらしい。戦地に赴く前に式だけでも、という場合もあれば、戦地で亡くなった者と残された者との形だけの婚姻もある。当時結婚は当事者だけのものではない以上、そういった婚姻や婚姻の儀式は必要だったのだ。
現在、この神社とその周辺の村は廃墟となり半ば山に還りかけている。日の暮れかけた夕方六時、街頭すら無いこの場所が闇に包まれるまであと僅かだ。この場所なら帳の必要もないくらいだろう。
「すげーいかにもって感じ!」
虎杖が俺の隣で感嘆の声をあげた。
「でもさ、こんな場所じゃ人も来られないでしょ。呪霊がどう出て誰に何すんの?」
「遠隔。八十八橋の時とおんなじだ。報告によれば、ここの呪いが離れた場所のヤツを呪ってた」
「た?」
「そうだ。被呪者はもう死んでる」
確認したタブレットを補助監督に返しながら、俺は首をかしげる。
呪いを受けた当人が既に亡くなっている以上、新規の被呪者が確認されていないからこれは終わった案件だ。ここを調査して呪いの元を掘り起こしたところで、一級相当の呪霊を無用に叩き起こしただけってことになる。
どんだけ強い呪霊だろうが、これだけ人里離れた場所だ。人に知られないまま三十年も放置すれば呪霊の力は自然と弱まり消えてしまうだろう。優先順位は決して高くはないはずだ。万年人手不足のこの業界で、今回の案件はどう見ても不自然。
新参の補助監督をじろりと見る。この人を逆さにして振ったところでどうせ何も出てこないんだろう。上の連中は一連の事件で随分と打撃をうけ勢力を削がれたが、まだ力は残っている。 
奴らは宿儺を完全に封印した虎杖のことも未だ信用出来ていないのだ。心配しすぎで早くくたばっちまえと内心罵りながら、ここは揉めるよりさっさと祓っちまおうと気持ちを切り替える。頭の固い爺共は、あと半年もしないうちに社会的地位から追われる段取りだ。
ごろごろと砂利の音を低く立てながら、黒いレクサスがバックで山を降りていく。麓まで降りたら帳が降ろされる。それまでに少し様子を見てしまおうと社の周囲をぐるりと回った。入り口の鳥居は形を保っているが、全体が苔生して木と見間違うほどだ。本殿に近づいてみると外部にカビや苔が目立ったが、床に触れてみて違和感にすぐ気づいた。
「……埃がない」
明らかに誰かが手入れをしている形跡がある。続けて桟に触れてみるが乾いた布で拭き取ったばかりのように磨かれている。扉を引き開けて堂の中に踏み込むと、後ろから虎杖が「うわぁ」と声を上げた。
壁一面に釘で打ち付けられた絵馬。判別もつかないほど古びたものからまだ新しいものまでが大量に壁を覆いつくし、先に貼られたものの上から容赦なく次々と重ねて打ち付けられている。
どの絵馬にも二人の人物の姿があった。絵馬ではなく二枚の写真を左右に張り合わせたものまである。年齢も性別も様々だが全て二人のうちどちらかの顔が塗りつぶされ、あるいは傷つけられている。
幸せを願うものではないのは明らかだ。むしろその逆。縁を裂くための願い。
湧き出した気配にざわりと総毛立つ。前情報とぜんぜん違う。遠隔でもなけりゃあ終わった案件でもねぇ。
今、呪いが生み出されている。
「虎杖!一旦出ろ!」
振り向きざまに虎杖を突き飛ばし、その体が本堂から押し出された瞬間、目の前で扉が閉じた。


「全部俺のせいだ」
涙するでもなく歯を食いしばって項垂れる姿に、五条悟は「悠仁は良い子だね」と優しく頭を撫でた。人はどれほど成長しようと本質はそう簡単には変わらない。事実、過酷な運命にさらされながらもこの子の性根は善良で正直なままだった。本当の意味での強い子だ。今回もそう。戦果を誇って然るべきなのに全く、そうはならないのは恵が悠仁を庇って呪われたからなのだろう。
「むしろ、悠仁はよくやったよ」
恵が堂に閉じ込められた直後から、悠仁はフルパワーで大暴れをし、呪いの根源の堂とそれに住まう一級呪霊を文字通りボコボコに殴り潰したのだ。拳一つで。
類をみないほどのスピード解決に、今回の黒幕は驚いたのか簡単にボロを出した。そのおかけであの老人会の社会的引退は週明けに早まったのだから、僕のポケットマネーで二泊三日の温泉旅行に行かせてあげてもいいくらいなんだけどね。ま、今はそんな気分にもなれないか。
傍らには精巧な人形のように棒立ちになっている養い子がいた。
恵は堂に呑まれ、悠仁が救出した時にはすでにこの状態となっていた。本来端正な造りの白い顔は、こうして表情を完全になくしていると本物の蝋人形のようでもある。
問題の一級呪霊は祓い済。それでも術が解けないのはこの呪いがその呪霊のものではないからだ。
呪いの大元は堂の中身。
人生を共に出来なかった恋人の想い。添い遂げることのなかった無念。本人の意思に沿わない婚姻。そして想いの届かなかった者の怨念。それらが凝り固まり、ちょっとした呪いの集合体に仕上がった。しかし力は微々たるものだから、本来、一般の被術者がそれに触れたとしても、三日も寝れば自然に解呪されるほどの僅かなものだ。
つまり、恵は、それに呪われているのではない。
呪いに感化され、自分で自分を呪っているのだ。

かいつまんで説明してやると、悠仁は大きな目を更に見開いて「てことは、大丈夫なん?」と顔を明るくした。
「残念だけど、そう簡単でもない。恵を祓っちゃうわけにはいかないでしょ?」
「先生でもなんとかなんないの?」
「そうだねぇ」
子供たちを交互に眺める。この箱を開けても良いのかは悩むところでもあるが、信頼して任せて成長を促す。というのが教師としては正しい選択だろうと頷いた。恵もその結果ならどんなことでも受け止められるはずだ。
「大丈夫、だから悠仁、恵が戻るまでは面倒見てやってよ」


「部屋戻ろっか」と声をかけると、伏黒はまるでスイッチが入ったみたいにクルリと向きを変え寮に向かって歩き始めた。どうも日常の動作や指示されたことはこなせるようだった。
正直ホッとした。着替えとか風呂とかトイレとか、そういったことまで手助けが必要になるとしたらちょっと困るなと思ったからだ。べつにそういう手伝いが嫌なんじゃなくて、後で伏黒が嫌だろうなーって思うから。まぁ確かに俺も困る。ちょっとはね。主に目のやり場とかに。
最初は「感情が無い」ってどういうこと?って思ったけど、だんだんわかってきた気がする。
いわゆる喜怒哀楽とかそういうの。あと、そこから始まる「何かしたい」っていう気持ちがわかない、ということ。だから、言われないと何もせんし、呪力もうまく錬れん。呪力は強い負の感情から作り出されるわけだからナルホドってかんじ。
連れだって伏黒の部屋に戻り、シャワーに入ってもらってる間に簡易キッチンに立つ。飯食って寝たら、起きた時にはいつもどおりになってるかもしれないし、それに期待したかった。
冷蔵庫を物色して、ありあわせで丼の具を作った。肉の在庫がちょっとだったから肉少なめ、そのぶん野菜は多め、いつも通りに生姜は多め、あんかけにしてレンチンしたご飯に乗せる。
シャワーから出た伏黒の頭を乾かしてから、折りたたみのローテーブルの前につれていき「食べて」と声をかけると伏黒は箸を手に黙々と食べ始めた。
 
静かな咀嚼音。
俺はその向かいに座って頬杖をついてそれを眺めている。
 
俺が作った適当飯を何の疑いもなく食べてくれるのは、いつもと変わらなくてちょっと嬉しい。
一年とちょっと前まで、俺と伏黒は決して出会うはずのない生活をしていた。
じいちゃんが死んで俺が一人になった時、寂しいと思う間もなく俺の人生に伏黒が飛び込んできて、それからは必死で生きて死んで、戦って悔やんでを繰り返して、そうやってなんとか宿儺を封印したけれど、その間ずっと伏黒は俺の手を握ってくれていた。
伏黒が何を考えていたのかは今でもわからない。
でも、友達というにはずいぶん許された関係にあるのは間違いなくて、だから今、伏黒が「旨いな」とか「肉買っときゃよかった」とかいつもみたいに言わないのがすごく寂しいんだと思う。
胸の下のあたりがキュッとして、俺は上を向いた。
伏黒がこんなことになってまだ半日なのに、もうこんなに寂しい。
じわりと眼球が滲みて拳でこすると、伏黒がごとりと椀を床に落とした。アッと、思った時には俺は衝撃と共に床に組み敷かれていた。後頭部と首の痛みはその直後、反射で掴んだのは俺の首を締める伏黒の両手首。
首を締められている?
伏黒に?
なんで?
息が出来ない。何が起きてるのかがわからない。とにかく離れなきゃ。こめかみがどくどく音をたてる。足を引き寄せて蹴り上げようとしたけどぴくりとも動かない。いつの間にか膝関節をキメられてる。喉骨が押されて軋む。目の前が霞む。ヤバい、このままじゃ死ぬ。表情の無い伏黒の貌。
怖い。なんで?
伏黒、なんで俺を殺すの?
苦しい。
でも、これで良いのかもしれない。
ずっと人を殺した罪悪感は消えなくて胸の中に鉛の塊が沈んでるみたいなんだ。
俺を生かしたのは伏黒だから伏黒の手で殺されるならおれは……

スッと身体から力が抜けた。胸の奥が冷えてぶわりと涙が溢れる。伏黒が片手を離して拳を握り振りかぶるのが見えた次の瞬間。伏黒が急に飛び退いた。窓の割れる音と釘崎の怒号。
開放された喉をおさえて咳き込み、瞬きをすると、眼の前の床に数本の釘が刺さっていた。


京都校に実習に行っていた釘崎は、予定より早く東京校に戻ってきた。荷物が重かったので近道をしようと男子寮横の小道を通っているときに部屋から物音がしたため、つい覗いてしまったそうだ。
「びっくりして本気で撃ち込んじゃったわよ。伏黒の奴、ムカつくけど避けてくれてよかったわ」
うっかり殺すところだった。釘崎は頬を引き攣らせてブツブツと文句言いながら飛び散ったガラス片を箒で片付けている。
俺は床にへたり込んだまま、床に散らばった飯の残骸を眺めていた。
片付けなきゃって思うのに動けない。
「……伏黒……どこ行ったんかな?」
釘崎はちらりと俺を見て黙ったまま時間をかけて床を掃ききると、それから俺の前に来てしゃがんだ。ため息をついて頬にかかった髪を左耳にかけて、細い眉をしかめる。
「あんた大丈夫?」
「うん、平気」
「……なわけないか、伏黒のやつ、明らかに気配がおかしかったわね。で、何があったの?」
俺は今までのことを話した。イチから思い出してみても、感情を失っているはずの伏黒が俺を殺そうとした理由はぜんぜんわからなかった。話していると喉の奥が苦しくなってまた咳き込む。
「ごめ、喉痛くて」
「馬鹿ね、こんな時に我慢は止しなさい」
俺の肩越しにベッドの上のタオルケットを手繰り寄せると、肩に掛けてくれた。暖かい。伏黒の匂いが懐かしくて顔を伏せた。
「……釘崎、母ちゃんみてぇ。知らんけど」
「しばくわよ」
頭を容赦なく平手ではたかれる。もうしばいてんじゃん!って抗議しながら二人してちょっと笑えた。
「釘崎が来てくれて良かった。俺一人じゃどうしたら良いのかわかんなかったからさ」
「任せなさい!野薔薇様が来たからにはなんとかしてあげるわよ!……と、言いたいところだけど、どうしたら良いのかしらね。あいつ、頭ぶん殴ったら戻らないかしら」
「昭和のテレビみたいなこと言わんでよ」
前触れもなく部屋の扉がパーンと開いて、五条先生が明るい声で入ってきた。
「ハーイ!お待たせ!恵連れてきたよー!」
 ほら恵、入っておいでと後ろにいる伏黒を部屋に入れる。
「そこの林で立ちつくしてたからすーぐ捕獲できたよ」
スウェットには枯草が付き、素足は土で汚れている。さっき俺を殺しかけたのに俺を視界に入れてもなんの変化もない。背筋がぞくりと震える。今の伏黒には感情が無くて、伏黒本人に殺意があったわけじゃないのはわかっているけど、俺は初めて伏黒を怖いと感じてる。
伏黒に殺されるなら良い。それはいつでも、今でも思ってることだ。なのに何が怖いんだろう?
釘崎がすっと俺の前に立ちはだかった。
「ちょっと!なんで連れてくるのよ、危ないじゃない」
「ダイジョブダイジョブ、恵は危なくないよ……と言いたいところだけど、思ったより重症だったねこれは」
部屋の惨状を見渡して、五条先生はウーンと腕を組んで少し考えて、それからパンと手を打った。
「それじゃあ悠仁と野薔薇、二人には実習を兼ねて、恵の呪いを解いてもらおう」
釘崎はエエーと顔を顰めた。そりゃそうだ。京都から帰ったばかりで休みもなくこれじゃあね。

それじゃあまず呪いを調べましょ。との釘崎の提案で、そのまま補助監督さんに車を出してもらって二時間後、昨日来の現場に戻ってきた。
昼間だから、ずいぶん雰囲気が違う。どこかでコジュケイが鳴いていた。
「これはまた派手にやったわね」
釘崎はバラバラになった堂の残骸をつま先でつついた。それからしゃがんで重なり合った壁板をヨイショっとひっくり返した。慌てて手を貸してそのあたりの残骸をどかす。
「で、これどうすんの?」
「とにかく、この中から呪いの元を掘り起こして……」
釘崎は左手を腰に当てると右手を顔の前に突き出して人差し指を立てた。
「……伏黒が何に呪われたか探して、呪いを解く方法を見つける」
三本の指を立ててみせると、ハァ、とため息をつく。
「こういうの、私たちは向いてないのよね。殴って解決するほうが分かりやすいわ」
「考えるのはいつも伏黒だったもんね」
「悔しいけど、そういうこと。でも、あいつに出来て私らに出来ないわけないんだし、なんとかしてさっさと片付けるわよ。日が暮れる前に帰って自分のベッドで寝たいもの」
釘崎はブレねぇなぁなんて言ったらまた殴られそうだから黙って残骸をかき分けて、かつて壁一面にあった絵馬だけを取り出していく。絵馬と、写真。額に入ったリアルな絵もある。一時間もしないうちにほとんどは集まった。ぜんぶの絵の面を表にして並べていく、途中で釘崎に言われて絵馬と写真と絵に分ける。どれにも残穢すら残っていない。ただの絵だった。
名前とかの文字は無い。どの絵や写真にも二人の姿があって、婚礼衣装だったり普段着だったり、貼り合わされたものでは全く関係ない服装や背景だったりもする。だけど、どれも片方の人物の顔は塗りつぶされたり傷つけられたりしている。単純に考えれば失恋とか、別れてほしいとかの呪いなんかな?ってカンジがするけど。
横を見ると、釘崎が顎に手を当てて難しい顔をしていた。
「残穢もないから探りようもないけど、夫婦の不和を願ったものってのは間違いないわよね。使い方としては、私が使ってる藁人形に近いのかも」
「芻霊呪法?」
「ではないけどね」と釘崎は返して首を傾げる。
「芻霊呪法では呪力を込めた釘を対象に打ち込むことで攻撃する。で、遠距離の対象には対象の一部と依代を使って攻撃するわけよ。で、今回のコレはおそらく依代なんじゃないかってこと」
「ナルホド。で?」
「そこから先はちょっとわからないわね。依代にするのに絵だけって、弱すぎるのよ。似顔絵なんて誰にでも描けるものでしょ?」
似顔絵描いて、その絵を傷つけたところでその対象に攻撃なんて入るわけない。そりゃそうだよな。
「あ、でも、俺が倒した呪霊は?」
「そうなのよ、私もそのセンかなって思ったんだけど、そもそも五条先生は、伏黒にかかった呪いは別だって言ってたんでしょ?」
「伏黒は自分で自分を呪ってるんだって」
うーん、と二人並んで腕を組み、同じポーズで考え込んでしまう。
何だろう?なんだかちぐはぐでぐちゃぐちゃなカンジがするんだよな。もうちょっとわかりやすくならんかな?俺は板のささくれをちぎって、それで地面に丸に目と口のあるアイコンを二つ描いた。片方には鬼の角をつけて呪霊のつもり。角の無いほうが被呪者。
「元々の依頼のあったここの呪霊の件は『一級呪霊が遠距離の誰かを呪っている。その被呪者は既に亡くなっている』」
被呪者のアイコンに×を描く。次に屋根のある家、堂を大きく描く。
『呪霊を倒しに来たらお堂の中に呪っぽい絵馬が沢山あった』それから『伏黒が閉じ込められて、出てきた呪霊を俺が倒したら伏黒がああなった』……と」
堂の中に五角形の絵馬と、「伏」の文字を書き足す。
「でも、そもそもこの呪霊の件は上層部の罠だったのよね?この絵馬の呪いは?」
「えとちょっと待って……」
指折りながら考える。最初にあったのが絵馬を使った呪い。それに絡めて上層部が張った罠。伏黒が自分を呪った。と。
「呪いは全部でこの三つだね」
「解かったわ!絵馬の呪いは、元々効力のあるものじゃなかったのよ。だから、この絵馬には残穢が無いんだわ。そこに上層部が絵馬と関係あるように偽装して一級呪霊をここに置いた」
「釘崎さすが!頭良い!」
ふふっと得意気に肩をそびやかす。
「じゃあ伏黒の呪いは?」
「………………」
顔を見合わせて、ハァ……と二人で溜息をつく。
結局、これがわからないとどうしようもない。俺たちは伏黒の呪いを解かなきゃならないのにお手上げだ。でもこのままじゃあ伏黒は感情を無くしたままになってしまう。それは嫌だ。
あれ?
「じゃあ、なんで突然、俺を殺そうとしたんだろう?」
え?と釘崎は目を丸くする。
「だって伏黒は感情を無くしてるんだよ?部屋戻ろうとか言えば動くけど、放っておいたら何も出来ないって言われたし、飯食う時までは確かにそんなかんじだったのに」
感情が無いのに、誰にも命令されていないのに、どうして俺を殺そうとしたんだ?
あの時のことは思い出すだけで胸が苦しくなる。でも考えなきゃ。
「そうね……自分で自分を呪ってるって言ったって、あいつだって腐っても呪術師なんだからそう簡単に自分を呪うなんてあるわけないわよね。だから、ここの呪いがキッカケになってる。でもどうしてこんな弱い呪いに引っかかったの?」
床に並べた絵馬を眺める。不和を願う呪い。まさか……
「伏黒が、誰かの不和を願ったってこと?」
そんなのってある?
それを聞いた釘崎はオエエエエって吐きそうな顔をして見せた。
「いやナイナイ!あいつに限ってそれはないでしょうよ」
「俺もちょっとそうは思えないけど、この絵馬がらみの呪いに触れたせいでってんならさぁ」
「ナイナイ」
「だって、津美紀さんのこと実はす……好きだったり、とかさぁ」
「ナイナイ。バッカじゃないの?あんたテレビ見過ぎよ。主婦向けの昼ドラだって今どきそれは無い」
あんたもさぁ。と、釘崎は呆れ顔を向けた。
「もう一年ちょっとこの業界に居るんだから、そろそろ分りそうなもんじゃないの?呪術師は短命なの。恋愛して結婚して共白髪、なんて、そんなの夢見たって無理だし、そもそも生き残るので精一杯。恋愛したり期待したりとか、そんな他人に気持ちを割いてる時間があったら自分が好きなことをしていたいわ」
あんただってそうなんじゃないの?と振られてウーンと唸ってしまう。
恋愛かぁ……確かにね、俺は生きてていいのかとかそこんとこでずっとぐるぐる回ってるから、そもそもそれどころじゃないというか……
「俺も、そういうことは考えらんないかな。つっても俺がこれからどうやって生きていくかは全部、伏黒が決めてくれるから、伏黒がそうしろって言ったらするかもしんないけど」
「……うわぁ……」
あーそうか。そうだったわ。そりゃそうよね。と釘崎はぶつぶつつぶやいたかと思えば今度は額に手を当ててアーとかウーとか唸った挙句、「それでかぁ~」とクソデカ溜息を付いた。
「わかった。つまりそれよ」
ビシッと俺の額に指を突き付ける。
「伏黒が呪ったのは、伏黒と虎杖、あんたらの仲ってことよ」
「ええええ?!なんで?」
 後ろにひっくり返りそうになって踏みとどまる。なんで?手で顔をあおぐ。顔あっつっい!びっくりした。
「俺と伏黒は結婚してないし!カップルでもないし!」
「馬鹿ねぇ?」と釘崎は憐れむような目で俺を見た。ちょっと考えればわかることだったわ。あんたのそういうところが通常運転だから気付くの遅れたけど、間違いない。と言いながら俺の肩をポンポンと叩く。
「まぁね、あんたがこっちの世界に関わるのに伏黒が絡んでるし、その後もずっと頼りっぱなしだったからそうなるのもわかるけど、宿儺の件が片付いた今、伏黒にしたらあんたの伏黒依存は負担だってことよ」
「依存って、そんな、だって伏黒は……」
いろんなことが片付いて死ぬつもりだったのに生き残って途方にくれてたら、伏黒は「俺のために生きろ」って言ってくれた。「まだこれからやらなきゃならねぇことがあるから役に立ってもらう」って、そう言ったんだ。すごい怖い顔で、ほとんど命令みたいだった。だから残りの人生は伏黒のために使おうって……頭からすうっと血の気が下がって冷静になる。そうか、伏黒は優しいから、俺が生きるためにそう言ってくれたんかな?俺は馬鹿だから、そんなことにも気付けなかったんだ。
ごめん、伏黒。全身から力が抜ける。胸の中に穴が開いたみたいだった。そうだ、そう言われた時、伏黒の役に立てると思ってちょっと嬉しかったんだ。でもよく考えてみたらすぐわかることじゃないか。伏黒は強いし頭も良い、禪院家の当主としての地位もある。馬鹿力だけの俺の助けなんかそもそも必要無いじゃん。
「呪術師は自分の人生充実させるだけでも大変なの。そこもってきて、あんたみたいに『俺の人生もよろしく』されたら重荷に決まってるじゃない」
だから離れてほしい。つまり、別れてほしいって呪いに感化されたのね。

隣りに居るはずの釘崎の声が遠くに聞こえる。心臓の音が聞こえる。
伏黒には俺が負担だった。
一緒に居たくなかったんだ。
考えたこともなかった事実に、頭から血の気が引いて目の前が霞む。

口の中が乾いて、ゆっくり唾を飲み込んでから言葉を舌にのせた。
「……だから、おれを、ころそうとした?」
「殺そうとまでは思ってないでしょ。極端な行動に出たのは呪いのせいでしょうね。あんたのことは戦友だし大事なのは間違いないわよ。それは断言できる。だからこそ、頼ってくるあんたを邪険にできないんでしょ?」
「つまり、俺が、伏黒を頼らない。ちゃんと離れるって宣言すれば解呪される?」
「そういうことね」
釘崎は意を得たりとばかりに大きく頷くと、さぁこれで解決と立ち上がり、スカートの後ろを払った。
「大丈夫よ、宿儺のことでなにかと不安もあるだろうし外野もうるさいけど、そのへんは私らだってちゃんと力貸すし、そもそもあんただって一級術師なんだからもっと自信持てばいいのよ。だから……」
俺と釘崎のスマホが同時に振動する、スマホのお知らせアイコンをタップ。俺たちの連絡用グループチャットだ。伏黒から?でもその文面から送信したのが五条先生だってわかった。
『メンゴ!恵がそっち行った』
「え?」
二人顔を見合わせて、そのとたん空が翳った。振り仰ぎ、反射で釘崎を抱えて転がって回避。
俺たちが座っていた場所に巨大な鳥が翼を広げて降り立った。鵺だ。その中からずるりと伏黒が現れる。
嘘だろ?なんで?だってここまで車で二時間かかるんだよ?
玉犬が飛びかかってきたのをいなして蹴り飛ばす。その隙に伏黒が剣を振り抜くのをかいくぐって距離を取り身構える。
「伏黒!目ぇ覚まして!」
嫌だ。伏黒と戦いたくない。
表情の消えた伏黒の顔に、ぞくりと背筋が凍える。
戦って、どうすんの?今の伏黒には勝てるかもしれない。さっきの玉犬も手応えがなかったし、蹴り飛ばしたとたんにどろりと溶けた。呪力をうまく錬れないせいで力が半減してるんだ。
 
だけど、俺が、伏黒を倒す?
殴んの?
伏黒を?
 そんなの嫌だよ。
 重たげな剣を手に迫る伏黒に足がすくむ。
 逃げなきゃ。
でも逃げて、その後は?
 逃げたってもう先は無い。
だって俺が生きる理由はもう無くなってしまった。
 

雷に打たれたように突然、理解した。


 そうか
 じゃあ、もう死んで良いんだ。


 
今度こそ終われる。
 もう悪夢を見なくていい。

 伏黒が剣を水平に構えて切っ先を俺に向ける。
 
 戦っているのを何度も傍で見てきたからわかる。
 伏黒はいろんな武器を使えるけど、この剣は伏黒が一番よく使ってるやつだ。
よく似合ってる。

 はぁ……と息を吐いた。
ぞくぞくする。
喉の奥が痺れるような解放感。
 頭の中の血管が広がったみたいにふわふわする。
 なんだかすごく気持ちが良い。
 
 万が一にも宿儺が復活できないように。
 これ以上俺が人を殺すことがないように。
 人殺しの器を消滅させよう。

さあ、早く……

笑みが浮かぶ。
 鈍く光る冷たい刃が待ち遠しい。
 胸骨の間に、あの分厚い刃が突き入れられる感触はどんなだろう?
 一息に背中まで貫かれるはずだ。
 痛くて苦しくて、でもすぐに開放される。
だって伏黒は上手に頸を切ってくれるから。
 両腕を広げて受け止めようとしたその時。

「簪!」

大地を揺るがす轟音と共に周囲の木々が一斉に倒れ、あたりが土煙に覆われた。とっさに腕で顔を覆って屈むと上着をぐいと引かれる。
釘崎だった。引かれるままに無言で走る。
何も考えられなかった。俺は良いかんじに死ねる筈だったのに、なんで逃げているんだろう?
少し走って横道にそれると斜面を滑るように下り、大きな岩の影に回り込む。しゃがみこんで一呼吸おくと、いきなりゲンコツをくらった。
「この馬鹿!」
それから襟首を掴んで湿った地面に押し付けられた。
「虎杖っ!あんたさっき諦めたわね?どうせ伏黒に殺されるならいいや、とか思ったんでしょ?馬鹿じゃないの?」
すごい形相だった。両目を見開いて瞳孔が大きく広がってる。
「寝ぼけんのもいい加減にしろ!伏黒があんなことになっちゃったのは、あんたがいつまでもそんなんだからだろうがっ!」
ぼたぼたと水滴が降ってきた。釘崎の涙だった。怒りながら泣いてる。
「あんたが運命が最悪なのはわかってる。並の人間なら絶望してとっくに首括ってるわよ。だけど、あんたはちゃんと生き残ったじゃない」
襟首を掴む手が力を籠めすぎて震えてる。そのまま二度三度と土の上に押し付けられた。
「あいつも、私も、あんたには生きていて欲しいって。ずっとそう思って一緒に戦ってきたの。そんなこと分らないくらいなら死んじまえっ!今すぐ!」
「……ごめん、釘崎」
起き上がって、襟首を締め上げてる釘崎の手に手を重ねた。釘崎の整った指先が冷えてガチガチに強張ってる。
「ごめん。俺も、べつに死にたいわけじゃないんだ。だけど」
泣いちゃダメだってわかるけど声が震えてしまう。やっぱりダメだ。
「……伏黒に死ねって言われたみたいだった。違うってわかってるのに、そんなん無理なんだよ」
 みっともないけどべそべそ泣いてしまった。両掌で目を覆う。歯を食いしばって声を堪えると余計に涙が止まらない。ガキみたいにしゃくりあげる。
 呪術界の上層部も、渋谷の後の非術師の人々もみんな、渋谷の大量殺人者、宿儺の器は死ぬべきだ、死んだほうがいい。なんでまだ生きてんだ?って思ってる。だってそういう声ばかりが聞こえてくるんだよ。俺だってそう思ってるし。でも本当は死にたくないし、普通に生きたかった。だけど俺のせいで死んだ人達のことを思うとこの先笑って生きるなんて難しくて、どうしたらいいのかなんてわかんなくて、考えても頭の中は堂々巡り。ぐるぐるうずを巻きながら結局「死んだほうが良い」ってとこに流れ落ちていく。
だから俺は、伏黒が必要としてくれてるってことを、生きる口実にしたんだ。
 釘崎がポケットからタオル地の小さなハンカチを出して、俺の手にねじ込んだ。それから肩に手を置いて宥めるようにぽんぽんと叩く。
「伏黒が呪いのせいであんたを殺したとして、その後、あいつが平気でいられるわけがない。そのくらい分るでしょう?」
 うん。と頷く。それは、きっとそう。
「だったら、今は殴ってでも伏黒の呪いを解いて、それで、これからのことは話し合いましょう。あんたの人生だけど、あんた一人で考えるには難しすぎよ」
「応!」
 気合を入れて返事をする。
 釘崎ってすごい。ちょっと理不尽な時もあるけど一緒にいるだけで前向きな気持ちにしてくれる。悩むのは後だ、とにかく伏黒を捕まえて、かかってる呪いを祓わなきゃだ。

   


釘崎が釘を飛ばして隙を作ったところに俺が一気に間を詰める。伏黒は飛び退って躱し間髪入れずに再接近。剣を振り下ろす。足元から玉犬が姿を現そうとしてその場で溶ける。呪力のコントロールがうまくいってないんだ。落ち着いて見れば動きも単調だ。釘崎の推測通り、伏黒は釘崎には目もくれない。釘崎が伏黒の動きを牽制する中、俺は距離を開けずにぎりぎりで剣を避け、左脇と二の腕で剣を掴み腕を捉える。そのまま右手で伏黒の顎を下から右上に軽く押し上げ体を崩し、背中から地面に落とそうとするも後ろに転がって躱された。剣を握る右手首を掴んでいたはずが左に持ち替えされて振り下ろされるのを柄に肘をぶつけて止める。そのまま押し込み押し倒そうと力任せに体重をかけたが芯をずらして流された。
感情がなくて、ほとんど反射で動いているはずなのに制圧出来ない。俺が攻撃を当てたくないせいだってのはわかってる。釘崎は「殺さない程度にボコそう」って言うけど出来れば無傷で取り押さえたい。
今度は剣の鍔を上から掴み外側に捻って落とすと左足で蹴り上げられる。ので、その足首を取って軸足を蹴り、そのまま地面に押し倒した。
よし!動きを止めた。と思ったとたん、伏黒の左手の下に真っ黒な影が湧く。
その手は金属の柄を逆手に握っていた。
青龍刀。
さっきとは別の刀だ。
刃が上を向いてる。
そのまま影から抜けば俺の胸を斜めに切り上げるだろう。
その一瞬がスローモーションのようにゆっくり見えた。

やばい。

避ける隙は無い。腹から胸に呪力を集めてガードを固めると同時に地面すれすれの低空を釘崎の呪力が飛んできた。
釘が三本、向かう先は伏黒の左腕。
十メートルくらい向こうで、釘崎が金槌を掴んで何か叫んでる。
 
右腕に衝撃と激痛。
「虎杖!この馬鹿何やってんの!」
自分が何をしたのかよくわからなかった。俺の腕に釘が三本突き立ってる。そうか、伏黒の左腕を自分の右腕でガードしたんだ。
続けて胸に斬撃を受けて吹き飛ばされる。背中が地面につく前に、伏黒が振りぬいた刀を返して振り下ろすのが見えた。
無表情の、俺を見ていない伏黒の目。
だけどもう怖くない。
だって俺はたった今、分かったことがあるんだ。
伏黒に、正気の戻った伏黒に、言わなきゃならんことがある。
だから、今はまだ死ねない。
急に目の前がクリアになる。手足の先まで血が巡って伏黒の動きがよく見える。
振り下ろされた青龍刀の刃に、呪力をめいっぱい纏わせた拳を当てて弾く、ギンツと鈍い音がしてひびが入った。さすが伏黒愛用の呪具。再度振りかぶる伏黒の軸足に釘崎がスライディングして体勢を崩し、そこを軸に独楽のようにぐるりと旋回して伏黒の背後に回り込み羽交い絞めにした。
「よし捕った!虎杖ぃ!こいつタコ殴りにしろ!」
「サンキュー釘崎!押さえてて!」
 同時に叫ぶ、伏黒は背中に釘崎をくっつけたまま立ち上がろうとしている。
 俺はひとつ深呼吸をして両手を広げると、思い切り伏黒を抱きしめた。
 釘崎が目を丸くして口をぽかんと開けたのが面白い。
 俺は、ずっと自分のことを考えるのを放ったらかしにしていたんだ。
生きることを選ぶには罪が重いし、ただ死ぬのも悲しくて、これからのことを考えるとしんどいだけで、それで何も決められなくなってた。
きっと伏黒はそれを分かってて、毎日を生きていくための理由を示して時間を作ってくれたんだ。俺はそんなこともわかんなくて、何も考えずに伏黒の言う通りにしていれば良いんだって、これからもずっと道具でいるなら、いずれそれは罰になるし、きっと一番有用な死に場所に行けるだろうって勝手に思ってた。いわゆるモラトリアムってやつ?自分の楽なほうに考えてた。
だけどさっき、無意識に体が動いて伏黒を庇った時、俺の本心が一番望んでることがわかった。
ようやく分かったよ。伏黒。
「俺は、これからずっと伏黒を守りたい。伏黒がやりたいことを助けたい。ずっと傍に居たいよ」
 宿儺の指を飲んだあの日からずっと、俺が何もわからない時も最低な時もずっと俺を気にかけて傍にいてくれた。俺はもうとっくに、伏黒が居るのが当たり前になってて、一緒に居ない人生なんか考えられなくなってた。
 帰ってきてよ伏黒。
 気持ちがすっと晴れていく。渋谷の時からずっと重くなり続けてきた心の中の錘が熔けていく。霧が晴れるみたいってこういうことを言うんだろうな。
 贖罪でも自棄でもなくて、これはただただ俺の希望で、伏黒が何て言うかはわかんない。だけど、伝えたい。
抱きしめる腕に力を込めて、心に浮かんだ解呪の呪文を唱える。
 
 
 好きだよ。

それからは散々だった。
 俺たち三人は土まみれ泥まみれ草きれまみれの酷い有様で、俺は車の中を汚したことを補助監督さんに謝り二時間かけて高専に戻った。
 その間の車の中で、釘崎はずっと文句を言い続け、伏黒はといえばずっとむっつりと黙ったままで、俺は釘崎に謝ったり宥めたりしたけど全部逆効果。到着する頃には俺は万策尽きて、出来るだけケツを小さくして居心地悪く座っていた。
 高専に到着すると五条先生が待ち構えていて、俺たちを見るなり大笑い。
釘崎は後ろ頭に葉っぱをくっつけたまま文句九割の報告をした。俺はそれになんとか補足をして、伏黒はやっぱり黙ってた。
 先生が言うには、あの堂に祭られていた絵馬は、夫婦を別れさせる呪いらしい。もちろん、その呪い自体はとても弱かったけど数が集まったことで弱いながらも効力を発揮していた。
 それは……

「誰でもさ、どんなに好きな相手にだって嫌な部分ってあるでしょ?だけど好きな気持ちの割合が大きいから許したりするんだよ。だけど、この呪いはその『嫌』っていう感情の割合を大きくして、その分『好き』の割合を減らしてしまう効果があったんだよね。例えば『パスタをずるずるすするのが嫌だな。でもまぁいいか』で、済むところが見るのも嫌になって別れてしまうとか、その程度ってかんじかな。だけど、そこに一級呪霊が置かれて効果が底上げされたところで恵がハマってしまったわけだ。本来、一級呪術師がかかるはずのない程度の呪いのはずなんだけど、心の隙があったんだろうね。共感、感化されて自らを呪ってしまったってわけ。で、恵はすぐ手が出るタイプだから、離れるんじゃなくて攻撃することになったんだね」
笑いながら説明してくれた先生は本当に楽しそうだった。
でもさすがに俺も疲れ切ってたから「なんで先に教えてくれなかったの?」と文字通り口をとがらせた。そしたら先生はすごく優しい顔をして「悠仁、よく覚えておいで」と、俺の頭をぽんぽんと叩いた。
「教えてもらって理解できることと、自分で考えないと理解できないことがあるんだよ」
そんなもんかな?自分で考えてもちょっとよくわからんけど。先生が言うならきっとそうなんだろう。


その後、伏黒だけ残されて俺と釘崎は解散になった。
二人並んで寮に戻る道すがら、釘崎が「風呂済ませたら食堂に来なさい」って命令してきた。この時間やってないよって言おうと口を開いたらぎろりと睨まれたので黙った。
 部屋に戻ってすぐ風呂に入ってさっぱりすると、部屋着兼寝間着のTシャツとハーパンに着替えて食堂に行った。喉が乾いたからついでに自販機でなんか冷たいものも飲みたくなったから結果オーライ。スポドリ買って食堂脇のソファに座り、テレビをつける。
 芸能人のど自慢大会ってモノマネなんだよなぁなんて思いながらペットボトルを半分空けた頃、釘崎がド派手な花柄スウェットでやってきた。小脇に半透明の箱を抱えている。透けて見える中身から救急箱だとわかった。
「ほら、腕出しなさい」
 あ、なるほどね。俺は釘の穴の残る右腕を見せた。
「俺、怪我の治り早いからこのくらいは何もせんで大丈夫よ。呪力纏ってたし」
「いいから」と釘崎は俺の腕を掴んで傷を検分すると、箱を空けてピンセットの先で丁寧に綿をつまみ、それに消毒液を染み込ませ腕の傷に当てた。全体を消毒液で拭いて、それから大判の絆創膏の内側に白い軟膏を塗ってから傷口に貼る。
「これは、私の自己満足だし、けじめでもあるの。でも、謝らないわよ」
「なんで謝んの?」
「謝らないって言ってんでしょ」
 ぺちっと絆創膏の上から叩いて、それから救急箱を閉める。
「この怪我は、あんたの自業自得。だから私は謝らないけど、ちょっとは悪かったと思ってんのよ、これでも」
「なんで?」
「何ていうのかな?……モヤモヤするのよね。悪いこと言ったなって」
「そうなん?」
 テレビから聞こえる芸能人の昭和なつメロと笑い声。思えば遠くにきたもんだぁ~なんて、なんとか隊だっけ?じいちゃんが好きだった。
「私にとっては、あんたも伏黒も、この世の終わりみたいなあの戦いを生き残った戦友だし、大事な友達で、あんたのこともわかってるつもりだったけど、何もわかってなかったっていうか。ちょっと自分にガッカリしたのかも?」
「そっか……」
 釘崎の言いたいことがちょっと解るかも。
「俺も、自分で自分のことぜんぜんわかってなかったもん」
「あんたが馬鹿なのはいつものことでしょ」
 さて、と、釘崎は救急箱を抱えて立ち上がった。
「私は部屋戻るわ。明日は休みもらったし、気晴らしに遊びに行きたいからもう寝る」
「元気じゃん。ついて行こっか?」
「いらないわよ、あんたみたいなイモ男がついてきたら私までダサく見られちゃうじゃない」
 けっこう強めのデコピンひとつ。
「あんたはちゃんと休んで、それから、伏黒の馬鹿とちゃんと話し合いなさいよ。まぁ余計なことかもだけど」
 
 
 
 
 
 

呪われてる間に何が起きていたのか、俺にはずっと見えていた。何も感じず、事象をただ眺めていただけ。
虎杖が俺に飯を作ってくれて、俺だけが食ってる時にこいつは対面に座り頬杖をついて黙って見ていた。しばらくして少し鼻をすすって上を見て、それから拳で目元をぐいと擦った。とたんに胸の中に憎しみが、憎悪が湧きあがり、俺は食いかけの飯を放って虎杖に殴りかかった。残りもので作ったのであろう名もなき飯は半分も食われないまま床に落ち、俺はそれを踏みつけて虎杖の首を締め上げた……思い出すだけで最低な気分だ……驚いて、苦しそうに歯を食いしばって、顔が赤くなってこめかみに血管が浮き上がる。それからすっと血の気が引いて……この時、俺は胸のつかえがとれるような、すっとした解放感に包まれたのだ。
 大したことない弱い呪い?冗談じゃない。
 俺が、この手で虎杖を殺すところだった。
 シャワーを浴びて泥を落とし、洗いざらしのスウェットに着替えてさっきまで着ていたものを洗濯籠に突っ込み、電気ケトルのスイッチを入れた。洗うのは明日にしよう。肉体疲労はたいしたことがないが、精神的にはやたら疲れていから少し落ち着きたかった。
これを飲んだらこの件にケリをつけなければならない。放置すればまた同様のことが起きないとも限らないし、あの馬鹿が勘違いして見当違いの方向に走りそうでヤバい。簡易キッチンで立ったまま湯が沸くのを待っていると、扉がノックされた。そうきたか。
 半歩先の玄関に手を伸ばしロックだけ外して「入れ」と声をかけると、静かにドアが開いて虎杖が顔を覗かせた。
「入ってもいい?」
「入れつったろ」
 横柄に応じながらマグカップをもう一つ出す。
 これは、交流戦の後に買い足したやつだ。日用品の買い出しのついでに予備が一つあっても良いだろうと思い付いたのだ。だが、本当はこの時も部屋に入り浸る虎杖のことを考えてた。
 こんな生業をしている奴に既婚者はほとんど居ない。あってもほとんどは血を残すための、契約としての婚姻だ。
 俺も、そういった感情に興味がないと思っていた。何であれ強い想いは呪いだ。使いようによっては武器にもなると乙骨先輩が証明したが、あれは相当なレアケースだ。概念を知っているだけでは突然持たされても扱えない。だがいつの間にか抱え込んでいた。重い。捨ててしまいたい。だけど捨てられなかった。
『こればかりは時間の問題だったよ恵、今日か一年後か。いつになるにせよ手遅れになる前で良かったと思うべきだろうね。失ってからでは後悔から別の呪いを生みかねない。それは恵にもわかってるだろう?』
五条先生には説教をされた。諭すようでもあったが十分楽しそうでもあったから素直に聞くのは癪だったが、正論だ。
 確かに俺は、喪失を覚えていて、何よりも恐れている。だから無意識のうちにこの感情を無いものとして無視していたのだ。
しかし、虎杖はそれに名を付けてしまった。
 あらゆるものは名がつけたとたん、形が定まり力を持つのだ。
 二つ並べたマグにインスタントのコーヒーを入れて、虎杖用にだけクリームと砂糖をいつもより多めに入れる。こいつも疲れているはずだから。
 部屋に入った虎杖は、いつものようにローテーブルを出して、いつものようにベッドを背にして座っていた。俺はテーブルにマグを二つ置いて隣に腰を下ろす。
 いつも通りではなく。互いの肩先が少し触れる位置に。
 瞬間、虎杖は肩を揺らして、でも離れなかった。そんな僅かなことでも許された気になる。
「今回のこと、悪かったな」
熱いコーヒーを一口含むとするりと言葉が出た。
「いや俺も!いろいろとホントごめん!」
 虎杖はこっちに向き直り、ガッと勢いよく頭を下げた。
「釘崎に言われるまで俺ぜんぜん気付かんくて、俺、ずっと伏黒に甘えてたんだなってわかってさ、本当は、釘崎が言うのが正しくて、俺、これからは伏黒に頼りすぎないようにちゃんとしっかりしなきゃって分かって、でも、よく考えてみても、伏黒に頼らんでも、これからも一緒に仕事したりしたいし、俺は伏黒の役に立ちたいんだよ。だから、ダメかな?……」
傍にいても?と急に小声になり膝の上に置いた拳にぎゅっと力がこもっている。俺はあっけにとられた。こいつ頭足りねぇなとは思っていたが、ここから説明しなきゃならねぇってことか?
 溜息をつくと虎杖があからさまにビクリとした。そんなビビられるとさすがに傷付くが、今日の俺がやったことを考えれば致し方ないといったところだ。
 マグをテーブルに置いて、虎杖の右手首を掴んだ。大きな白い絆創膏が貼ってある。釘崎の攻撃から俺を庇った傷。馬鹿だな。ふ、と笑みが浮かぶ。やっぱりこいつには俺が必要なのだ。
「オマエ、今回の呪い、何て説明うけた?」
 ええ?と目をキョドらせる。
「夫婦を別れさせようって呪いで、そこに一級呪霊が来たせいで効果が上がった?」
「分かってんじゃねーか」
「え?なにが?」
 手を滑らせて、握りしめた拳を広げさせる。体温の高い、少し湿った手のひらに、俺のそれを重ねる。虎杖は戸惑ったように、手と俺の顔を見比べて、でも大人しくしていた。
「あの呪いが狙うのは『夫婦』だ。俺たちはあの呪いに『夫婦』としてカウントされたんだよ」
「え?でも、俺たち、結婚してねぇし、そもそもこ……コイビト……とかでもないし」
 わかりやすく赤面し、目線をうろうろと彷徨わせる。
「結婚ってのは儀式を通じたものでもあるが、ようは魂の結びつきの問題なんだ。挙式するかどうかじゃねぇんだよ」
 わかるか?俺たちの魂は俺たちの自覚すら置いてきぼりにしたまま絡まり結びついてしまっているのだ。こんなことは認めたくはなかった。ただの友人で、幸せを願っているだけならどれほど良かったか。だがそうはならなかったのだ。
オマエを独占して、いつでも触れられるように近くに置きたい。そう願って、事実、一方的に命じて意思を制限し傍に縛り付けていた。俺の願いは呪いとなりいつか虎杖の血肉を巡り魂を絡め取って俺に帰ってきた。ただそれだけ。今回、俺が受けた呪いは、ただの最後の一押しにすぎなかったのだ。 
オマエも同じなんだろう?今回の件で俺への感情を自覚したんだ。だから、意思をもって俺と共に有ることを望んだ。
 俺はといえば、呪いで自我を封じられ、オマエの中で最も嫌っているものが大きく膨らんだ。

それの名は『絶望』
 
オマエを独占したかった俺は、オマエの『絶望』の存在許せなかった。だから憎んで消そうとしたのだ。しかしそれは拳では消えず、オマエが俺と共に生きたいと自覚した時にそれは消滅した。そして攻撃対象の消滅により、俺の呪いは解けた。

そうだよ五条先生、あんたは気に食わないけどいつも正しい。
 愛は呪いだ。
 
目の前で虎杖の顔がどんどん赤くなる。顔どころか耳や首まで赤くなったところでようやく 「俺たち、ケッコンしてたんだ?」とぼそぼそと呟く。どくりと心拍が上昇した。今や虎杖の手までどんどん熱くなる。急に「愛おしい」という言葉が胸に浮かぶ。愛おしい。可愛がりたい。大切にしたい。触れて甘やかしたい。
「結婚してんだよ。とっくに」
 重ねていた手に力を込める。
 俺の愛おしい弱点、俺の虎杖。
 捉えた手を引くと、虎杖の身体は抵抗なく引き寄せられた。これまでにないほど近づいた身体を抱きしめる。服越しに虎杖の肉体の感触がする。じっと動かずにいると鼓動が伝わる。
 手に入れることを恐れていたものは、とっくに俺のものだったのだ。

 あのド田舎の高校で出会った時からずっと、俺はずっとオマエのことばかり考えてる。少年院でオマエが死んで、不在になった時もずっと薄れることなく想っていた。還らずに死んだままだったとしても生涯想い続けただろう。

だから俺はオマエが俺を手放さないように、繰り返しオマエを呪う。

「だから、俺のために生きろ」
 
そうしてこの呪いは永遠に俺と虎杖を巡り、俺たちはまた生かされていくのだ。


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付き合ってるメグユジも付き合う前のメグユジの良いよね~ってニコニコしてたら原作でケッコンしてたのでびっくりして書きました。

イベント配布本は、これにエッチシーンが追加されたR18版です。